
小学校は富山ろう学校に入学、一年、二年は宿舎に入れました。良春を先生に預け、後ろを向いた隙に私は逃げるようにして帰りました。後ろを追うため「バイ、バイ」もせず別れたときの辛さは、終生忘れることができません。
後日、先生のお話しでは、やはり親の姿が見えず、泣いて泣いて困らせたとのことでした。
三年からは、家から通学させることになりました。バスで小杉まで行って汽車に乗りました。冬になれば北陸地方の雪国は、バスも通わぬ日もありました。そのときは、大門の駅まで七キロの道を歩き、吹雪のときは二人しっかり手を握り、冷たい良春の手をこすって暖めてやりました。
自分で通学できるまでは、我が子可愛さに苦労しました。
中学、高枝と進み、立派に字も覚え、手話で先生や友たちとも話す所を、授業参観に行くたびに見て感激しました。長い年月、たゆまずひがまず頑張り通して卒業できたことを、本当に嬉しく思っています。
家が日立家電住設店をしているので、良春はその仕事をし、いまでは結婚もして二人の父親です、孫の長男は富山大学教育学部三年生、二男は高校生。嫁さんも手話を習い、日ごろの家族の会話が通じ合い喜んでいます。
良春もいまでは、聴覚障害者の世話をして、世のため人のために頑張っております。
母として八十歳の人生。この子のために生きる道を歩んでまいりました。いまは本当に幸せだと思っています。
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